1984-04-20 第101回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号
それから十三時五十七分になって副長も、その辺の関係者が全部指令センターに参りまして、この箇所は上層西卸と四百二十メーター関係が影響をこうむるということを判断しましたので、その坑内の状況の確認を急いでおります。ところが応答がなかったということで、そこで初めて緊急事態ということを判断しておるわけでございます。
それから十三時五十七分になって副長も、その辺の関係者が全部指令センターに参りまして、この箇所は上層西卸と四百二十メーター関係が影響をこうむるということを判断しましたので、その坑内の状況の確認を急いでおります。ところが応答がなかったということで、そこで初めて緊急事態ということを判断しておるわけでございます。
で、煙がこの巻き場及び巻き陽風道を通りまして三百二十メーター西卸の連れ卸という排気道、これが避難道でございますが、この避難道に先回りして出てしまったということで、退路を遮断されたということがその退避を非常に困難にし、かつ犠牲を大きくした原因なんではなかろうかというふうに考えております。
場所は、西卸の右一片三尺払いというところで起ったのでありますが、本年十一月十六日の朝の午前五時五十五分であります。切羽は大体六十メートルばかりの切羽であります。外側に断層が出ておりまして、当初は半分くらいな面長でありましたけれども、だんだん払いが進むに従いまして払いが広がって参りまして、災害当時は約七十メートルばかりの払いの長さを持っておりました。
これは、大之浦炭鉱新菅牟田坑西卸右一片三尺払の略図でございます。ここで変災を起したのでございますが、この位置は、坑口から約三千メートルの距離でございます。二千九百八十メートルの距離でございます。変災を起しましたのは、昭和三十二年十一月十六日五時三十分ごろでございます。罹災しました方々は十二名でございまして、そのうち九名を殉職させております。その模様を御説明申し上げます。
西卸の右一片三尺払という切羽で爆発を起しまして、死亡九名、重傷三名、計十二名という罹災者を出しております。これは福岡県の鞍手郡の宮田町に一ありまして、この災害のありました坑口は、新芦牟田という坑口でございます。労働者は二千四百名近くの労働者が月四千トンくらい出しております坑口でございます。
○説明員(小岩井康朔君) ただいまの御質問で、大の浦炭鉱あるいは東中鶴、最近起りました炭鉱の災害が防げるかどうかというお話しでございますが、大の浦炭鉱は御承知のように、新管牟田炭鉱の西卸右一片の三尺払で、局部扇風機のスイッチの故障を、修理中誤って大爆発を起した災害であります。